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体験談

花言葉アジサイ

寛容・一途な愛情

古代エジプトの女性からのメッセージ

私は前世・未来世療法を受けました。本当に自分自身の歴史を知るきかっけになった1日になりました。 こういったセッションを受けるのは初めてと共に、テレビや映画とかの世界で見ていただけだったので、「本当に自分にもわかるの??」と正直半信半疑的なところもなきにしもあらずだったのですが当日は、自分を知りたいという気持が自然に沸いてきて、とてもリラックスしてセッションを受けられたような気がします。 お部屋もとても落ち着いていて、初めてだけどあまり緊張感を感じない空間でした。そして今回のセッションで過去の自分の一部を知ることができた事により自分が無意識に興味ある場所やもの、やろうとしている事、今の自分に与えられた夢や目標に関するテーマがとても理解できた気がします。 実はセッションを受けたあと、帰り道を歩く足がすくんでちゃんと歩けなくなり、帰りの電車の中でセッション中に音羽さんが質問してくれたけどその時見えてこなくて答えることができなかったことがたくさんでてきました。 最初はセッションの余韻が頭に残って、自分の中で「妄想」を作ってしまっているだけなのかと思いましたが、それにしてはあまりにもいつもの自分と違う感情がどんどんわいてきて、なんだか自分が二重人格になったような感覚になりました。 そこで自分から出てきた事は、(長くなりますが・・・・すみません)光景や周りの人たちがはっきり見えるわけではないのですが、感覚で思い出したようなのです。 どうやら過去の私は古代エジプトのアメンヘテプ3世の時代に生きた女性。(あとから調べたら紀元前1400年前後)新王朝時代が絶頂期だったころ、 ファラオや神官の住む?神殿のようなところで使える女官の大勢のうちの一人だったようです。音羽さんとお話したときに、私が過去生で、エジプトで香炉のようなものを持っていると、私に言ってくれたこともそこに通じていたのかもしれないです。 そして踊りや太鼓も、いわゆるダンスとしてではなく宗教儀式の中で行なっていました。でも当時の情勢や自分自身のおかれた立場、生活にものすごく不満というか 違和感を感じていて、踊りや太鼓の練習も人より上達せず、それが苦痛で踊ることに幸せを感じていませんでした。逆に嫌だけど無理していたような・・・ 常に「嫌だ嫌だ」という感情しかもてず、自分自身がその時代に生まれてきたこと自体に嫌悪感をもっていたようなのです。他にやりたいことがあっても それが自由にできないジレンマのようなものを抱えていたようです。 そして突然「そうだ。自分は死んだんだ」ということを思い出しました。 「過去の自分」だからもちろん一度は死んでいるのですが、どうやら自らの命を絶ってしまったようなのです。その場所がナイル川で、身を投げてではなく入水の形で。 そして今思うと、最初の導入のところで自分が砂漠にいる場面の時、確かに白い岩の上に裸足でいたり、ねころがってはいるのですが、そこに足をつけているというよりも浮いているような感覚でした。逃げだしてそこにたどり着いたような感覚もありました。そして遠くで、私のその当時の名前を呼んでいる数人の人たちは、一緒に神殿に仕えてていた仲間たちで呼ばれても自分はそこにはどうもいきたくない。 そして来てほしいのだけど、向こうからも来ない。近いようで遠い距離感は、もしかしたら、すでにその場面では自分は命をたってしまったあとだったのかもしれないとふと思いました。 そしてエジプトとは別の過去生のヨーロッパのとある町に住む花屋の「私」は、お金はないけれど好きなことをして穏やかにささやかにくらせる。そのこと自体に感謝して日々平凡だけれども楽しく暮らしていて、花一本の売り買いのお客さんとのやりとりにも幸せを感じていたようです。 音羽さんがセッション中の誘導で数字をカウントしている時にふと、「私」が一輪のバラを橋から川にそっと投げたとき、なにを思っていたかも思い出しました。 「その時の私」も、過去のエジプトで川に自ら命を投げた自分を思い出して川に献花をしたようなのです。 セッションの最初の部分でリラックスしていくなか涙が溢れてきたときに、「私はこの世に生まれてきて本当によかった」という感謝の気持でした。 これも前世で自分の人生をまっとうできなかったことに対しての思いからだったのかなと。 そして今の現世でであった、ダンスを通じて色々な夢を話せる二人の仲間と師匠である先生は砂漠で私を呼んでくれていた、一緒にすごしていた仲間。 「砂漠にいたとき」は誰だかぼんやりしてわかりませんでした。ただ遠くから手を振ってくれていました。当時はあまり親密な付き合いはなかったみたいですが、 最後にこころから楽しんでステージで踊る自分たちの姿。最後に三人で「あえてよかったね」と、手をとりあって再会を喜んでいる姿はものす ごく鮮明でした。そんな感覚に陥りながら、途中で、自分が自分と会話をしていました。昔の私は「私ができなかったことをあなたは今やってね。」と言っていました。 本当に説明しがたい感覚で、頭がおかしくなったのか?と思いましたがもうそのわきでるものが押さえられず、電車の中でも涙がでそうになって 仕方ありませんでした。自宅に戻り、普通に家族と会話をしたら、元に戻りましたが、夜中に、きっと川の中でもがいていたのか・・ 胸や呼吸が苦しくなったりして、夜中に目が覚めて携帯をみると、なんと今までメールしてもお返事はなかった、ダンスの師匠の先生からお返事が届いていたのです!!そのあともひたすら涙でした。 そして今の私がエジプトと中欧の共通する、川と橋の光景に惹かれるのも、エジプトの中でもピラミッドと砂漠の他、あまり古代のエジプトを感じさせる神殿や 場所にはあまり縁がないというか興味がもてないのもわかる気がしました。そして見守ってくださる大きな存在が表してくださったメッセージを大事にしていこうと思いました。 そのほか、チラッとですがスリランカで民族舞踊を踊っていたり、グランドキャニオンでスカイダイビングのようなものをしている自分もふっとよぎったりしました。 まだまだ知らない自分の歴史がきっとあるのでしょうね。今回は今自分が進んでいこうとしている夢や目標みたいなことに対して 掛かり合いのある過去生で、恋愛や家族愛など別の問題を提起した時にはまた違う自分の過去がでてくるような気がします。 そして今は落ち着いていますが、こうした「感覚」や「記憶」を急におもいだした場合は、それが湧き出ることに身を任せてしまっていいのでしょうか? やめようとしても昨日は感情があふれ出してとまらなかったのですが・・・ とにかくはじめての体験なのでとまどいもあります。 とにかく。すっごい長くなってしまいましたが、実際に自分の歴史を体感できたことと、音羽さんともご縁を戴き、導いてもらったことにひたすら感謝しています。 また色々「転機」となる時期を迎えたら、また「自分に」会いにサロンにお邪魔しますね。 本当にありがとうございました。

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